
うつを治したいけど、どうして「うつ」になっちゃったのか、わからないと治らないと思うんだ。
原因を考えてみたいの。
この記事を読むことで、筆者が「うつ」になった体験をもとに、なぜ「うつ」になったのか、例を見ることができます。
今の私には、時間がある。うつ病になって、人生のお休みをもらった。
その時間を使って、なぜうつ病になったのか、日々考えている。
むしろ、そういったことを考える時間でもあると思う。
今日までに分かった事をまとめてみたい。
うつ病は一つの原因でなるものではなく複合的要因でなるものなので、あくまで筆者の「例」としてとらえていただければ幸いです。
目次
自己体験から「うつ病」には強い承認欲求があるという仮説

私はうつ病と診断されつつも、自分がうつ病であることがピンとこなかった。
半年がたち、自分の「うつ病」を少しずつ理解しながら「自分探しの旅」を続けている。
当初のこの記事は「自己肯定感が低いと『うつ病』になりやすいかも」というテーマで書こうとしていた。
いろいろ調べているうちに、「自己肯定感が低い」と承認欲求が強くなるのではないかと考えるようになった。
自己の体験により「私に強い承認欲求があったこと」が、うつ病になった元凶であり、その事実を受けとめれば、今後はうつ病とうまく共存していけるのではないか、という仮説を立ててみた。
うつ体験から承認欲求が関係していると考える理由
アドラーの心理学を学んだので「トラウマ」という言葉を使って「過去のせい」・「人のせいに」してしまうことはやめます。
「トラウマだから…」という言い訳で過去に縛られて、今の自分を正当化することは、何の解決にもならないからです。
いまから、母親の話を例にあげますが、母親のせいにして「私は悪くない」と言うつもりはありません。
母もまた、その母に幼少期に捨てられたなどの経験があります。
なので、私の母が諸悪の発端ということではないのです…。
承認欲求とは「他者から認められたい、自己を価値ある存在として認めたい」という欲求のこと。Wikipedia

- 母親が私に対して、自分はいい母親であることを承認させようとする。
- 私が母親の思う通りにならないからと武力行使にでる
私が母の言うとおりにしないと、もはや、しつけという名の怒りのはけ口。
母は「私がお前を捨てたら、孤児院に連れていかれて、そこでいじめられるぞ」と脅す。
しつけという名の暴力、脅迫、無視、私が服従するまで延々と続く…。
私は、愛されるために母の言いなりになることを選んだ。
そして母のいいなりになることで得られる「条件付きの愛情」を得た。
- ご飯抜き
- 無視
- 不機嫌になり暴言、暴力(花瓶や包丁が飛んでくる)
以上が、母親の承認欲求が満たされるまで続く。
自己を抑制することで、相手の期待にこたえ、承認欲求を得ることを学んだ。
大人になって、私の方が体が大きくなると、母に「泣かれる」ように変わった。
母親の期待に私が添わないと、私が謝るまで泣いている。
また、「どこかに行って死んでやる」と脅すようにもなった。
母親は私に「自分の言うことを聞く従順な子供」像を求めていた。
母親にとって我慢にならない反発は、私が折れる迄「しつけという名の脅し」で怒られ続けていた。
私は承認欲求を満たす為に外でも自己抑制をするようになった

私の母親は水商売を軽蔑している。
父親が亡くなってからというもの、どんなにお金に困っても自分は水商売はせず、事務職で子供を育て上げたということが自慢であった。
そんな母に育てられた私は、自分と同じ事務員になるように言われ続けていた。

自己を抑制して相手の期待に合わせれば、承認欲求が満たされることを学んでいたので学校や会社では、自己をおさえることが当然になった。
原因は私の強い承認欲求からきている気がする

私の行動のすべては誰かに好かれる、誰かに認めてもらう為。
私を認めてもらう為なら、どんな我慢もできるし、してきた。
うつ病になると、外出したくない、人と接するのが怖いという感情が起きる。
他人に承認されたいが、「認められなかったらどうしよう」という恐怖心からきていると私は思った。
その証拠に、口も利かない「あかの他人」や「レジの人」とのかかわりに恐怖は感じない。
中途半端に関係のある人との接触が何よりも怖く感じる。というか面倒。
なぜ承認欲求が強いと「うつ病」になると思うのか

うつ病は突然なるものではなく、少しずつ蓄積されてくるもの。
そして発症のきっかけになるのは…
結婚・就職・転職・昇進・新しい仕事を任された時など、大きな環境の変化が起こる時に起こることが多いという。
私も中間管理職になってからだった。
真面目な人が「期待に応えられるように頑張りすぎてしまう」ことがきっかけとなることが、多い。
自己のキャパ考えずに体を壊すまで頑張ってしまう。
「誰かに認めてもらうということ」を目的として行動しているから。
なのにその誰かは「常に私をみてくれているわけがなく」、自己のことしか考えてない。
そのことに気づかず、認めてくれないのは私の努力が足りないからだと思い込み、認められるまで(認められることはほとんどないので壊れるまで)頑張ってしまう。

承認欲求が満たされないと、まるで生きていけないかのように「母親」「上司」「友達」「同僚」など、私とかかわるすべての人に私を認めて欲しいという欲求が強くあります。
ところが、周りの人は、私が欲求するほど、私のことを気にしてくれていない。
すると、私の承認欲求が満たされないまま、期待は裏切られる。
もし、そこで仮に一度認められたとしても、その後も、承認欲求はどんどんエスカレートして強くなる。
まわりはずっと私の期待に応えて認めてくれるということはない為、勝手に絶望し疲れ果てて「うつ病」になる。
・他人は、そんなに私のことを気にしていないと知ること。
・私を認めてくれるように期待をしていること自体が「幻想」であると気づくこと。
アドラー「嫌われる勇気」課題の分離から「うつ病克服のヒント」
- 母親が自分の子供にいい母親であると認めてもらいたいと思うのは、母親の都合であり、母親が勝手に望んでいること
- 子供が母親を良い母親と思うかどうかは、子供の都合であり子供が決めること
- 私は上司にとって良い部下であると認めてもらいたいと思っている、思っているのは私の都合
- 上司にとって認められる部下かどうかは、その上司が自己の都合で感じること
- 私が上司に認めてもらえなくても、その上司には関係のないこと
- どんなに私が他者に対して献身的な行いをしても、それは私が好きでやっていることで自己都合
- どんなに私が献身的な行いをしても、認めてもらえるかどうかは他者次第
承認欲求をなくすことは難しいので以下3点を肝に銘じる。
・みんなそれぞれに自己のしたいことをしているだけ
・誰かが私を見てくれている、わかってくれている、認めてくれているという幻想を捨てること。
・自分だって他人のことを承認するこができないのに、他人にだけ自分を承認してもらいたいと思うのは自分勝手な考えであると知ること。
・他者に承認してもらいたい欲求を「達成感」と「自己満足」に置き換える。
下図の ↓②の承認欲求を①の自己実現欲求(達成感、自己満足感)に置き換える


以上が、私の仮説です。
私にとって、承認欲求を満たすということは、生きていくうえで欠かせない水のように切実に必要なものになっていました。
その水をもらう為に、私は自分のプライドをも持ち合わせていません。
「いつもへらへらしてバカをやっている」そんなキャラになっていました。
この仮説が正しいかどうかはわかりません。
しかし、同じように無理を繰り返さない為にも「誰かが常に認めてくれるということは幻想」であると理解する方がいいです。
今後は他人の承認を期待をすることなく、生きてみようと…
できるか、わかりませんが少しずつでも努力してみようと思います。
自分らしさを失ってまで守るものは大切なものではない

オーディブルなら1冊無料だよ。
読まなくていいから楽ちん。

読んで下さってありがとうございます。
良かったらポチっとしていただけると
はげみになります。